動物園には「園長」という管理職の人がいますが、ある人は園長に必要な資質として
以下の三つをあげています。
1 行政マンとしての側面を持っていること
2 教育者としての側面を持っていること
3 科学者としての側面を持っていること
また旭山動物園の前園長の小菅さんは、共書「戦う動物園」の中で次のように述べてい
ます。
園長は「子どもたち、地域の住民、市民たちに親しまれる人格的な中心」としたうえで、
「ただの経営者でも、ただの獣医でも、ただのシャッポでもない。
野生動物という、人間とはまったく別の原理で生きている命について、誰よりも深い理解
をもっている者であり、しかも、それを子どもたちに、未来の世代へ伝えようという情熱
をもっている者でなければならない」と。
私の理想の園長とは、「動物のこころ、飼育担当者の想いを理解・共有できる人であり、
合わせて職員が憧れるような目標になるような人で、立場を超えて、いつでも夢を語り合
える人であること」でしょうか。
平たく言えば、他の動物園に自慢できる人です。
実際、そのような園長の下で働ける職員は幸せです。
しかし現実は、日本のあちらこちらで、本来なら動物園に残るべき志のある職員
(飼育員・獣医師・中間管理職など)の方が夢破れ、園を離れているように思えてなりま
せん。
日本に動物園が誕生してから130年余り、あまたの園長経験者の中に、いったいどれだけ
の、園長適格者がいたのでしょうか。
ある人は野生動物に全く興味がないにも関わらず、ただ獣医師の資格を持っているという
ことだけで保健所などの衛生部局から、またある人は農政部局からといった具合です。
一部の動物園は別としても、資質は二の次で、単に世間体だけを優先した園長人事それ
こそが、欧米の動物園との格差を産んだ元凶に思えてなりません。
もちろん話をしたことも、いっしょに仕事をしたことはありませんが、私の中では、
上野動物園の開園後、50年以上経って初めて正式な園長を25年間務めた古賀忠道さんや、
同じく上野動物園の園長を務めた中川志郎さん(共に故人)が、理想の園長ではなかった
かと思います。
特に古賀さん(下写真)は、当時としては珍しかったペンギンの長期飼育に世界で初めて
成功した人でした。
※古賀さんのことば:動物は子どもたちの「夢」である。
極地という、ほぼ無菌的な環境で暮らすペンギンにとって、高温・多湿の日本では特に
「アスペルギルス症」というカビ(真菌)性肺炎に罹ることが多く、長期飼育することが
できませんでした。
古賀さんは、職員が使っていた水虫薬ならアスペルギルスにも効果があるのではないか
と考え、取り寄せた薬の粉末をアルコールに溶かしてペンギンに吸引させ、コウテイ
ペンギンの長期飼育に成功しました。
一方の中川さんは、退職当日の夜、当時のニュースステーション(MC:久米宏)にも、
ゲストとして出演されました。
※中川さんのことば:人間は「頭」で、動物は「こころ」で子育てをする。
退職の挨拶をされた後、中川さんが、職員一人一人と握手する様子が映し出されました。
(お互いの信頼関係がなければ、握手なんてしたくありませんよね)
どれほど慕われていたかは、涙する職員の姿を見れば分かります。
日本における動物園の歴史の中で、古賀さん・中川さんは、後に続く人材を育てた真の
リーダーだったと思います。
「出逢いが人間を感動させ、感動が人間を動かす」という、相田みつをのことばが身に
沁みます。
さて、旅行で大切なのは「どこに行くかではなく、誰と行くかだ」という名言があり
ます。
仕事も同じで、大切なのは「どこ」で働くかではなく、「誰」と働くかです。
私は3回(計14年3カ月)動物園に勤務しましたが、総括すれば、希少種の繁殖や仲間との
語らいという喜びも多少はあったものの、理想と現実の狭間に揺れ
ながら、多くの「悩み・苦しみ・悲しみ」を経験しました。
理想とは、動物たちのために「何ができるか」を考える純粋な自分の姿、現実とは、行政マン
として「前例を踏襲」し、時には「杓子定規」に振る舞う自分の姿です。
それでも何とか頑張れたのは、まずは家族の存在であり、慕ってくれた仲間の存在であり、
自ら望んで来たわけではない多くの動物たちのために、私たちは選ばれた人間であるという、
誇りがあったからに他なりません。
想えば飼育係長時代、ある独身女性飼育員に誕生日プレゼントは何がいいか、恐る恐る
聞いたところ「ラブレターがいい」と言われたこともありました。
彼女も、言いたくない上司には絶対に言わないでしょうから、たとえ冗談?であっても、
そのようなことが言える人間関係を築けたことは、私の宝物の一つです。
今まで支えて下さった、多くの人たちに感謝です。