野生動物にとっての繁殖目的は、己の遺伝子を効率的に残すことであり、種を維持するという
使命感によるものではありません。
厳しい自然界の下では、常に子どもの死というリスクが付きまとうことになります。
ですからオスは、できるだけ多くのメスとの間に子どもを作ろうとし、メスが子育て中なら、
その子(他のオスの子)を殺してでもメスに発情を促し、わが子を残そうとする種もいます。
この行為は、いわゆる「子殺し」※と呼ばれるもので、多くの動物で確認されています。
※子殺し
チンパンジー、ライオン、ハヌマンラングールなど
一方メスは、一般的に体の大きいオスを選ぶ傾向にあります。
体が大きいということは健康であり、エサにも困らず、ニッチ※
の高さをメスにアピールしています。
※ニッチ(niche)
自然界における生態的地位
別な言い方をすれば、生き残る確率の高いオスの血統が引き継がれ、結果として種の維持が
図られるように、進化してきたと思われます。
人工的な施設の中でも、相性の良いペアに恵まれると、希少種も繁殖します。
日本で初めて、アフリカゾウの繁殖に成功した群馬サファリでは、オスのリチャードとメスの
サキューブの仲が良かったし、上野動物園のジャガー(オスのポテトとメスのチップ)も仲の
相性の良いペアから多くの個体が生まれることで、当面は
種を維持したことになりますが、将来の繁殖計画に必要な
遺伝的多様性は、限られてきます。
そのため以前から、野生動物という生物資源の保存・維持を目的に、日本においても動物園
同士や、動物園と獣医・農学系大学との共同研究が進められてきました。
一例として、ソデグロヅルの人工授精(多摩動物公園との共同研究)について紹介します。
ソデグロヅルは、世界のツルの中でも最も絶滅の可能性が高いと言われています。
当時、平川にはソデグロヅルのペアがいましたが、相性は
良くありませんでした。
一番の理由は、メスがツルではなく人間に育てられたため
に起こる刷り込み(インプリンティング)が原因でした。
※刷り込み
孵化したヒナが最初に見た動くもの、声を出すものを親だと思い込む現象(自然界では親)
この研究で、ローレンツはノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
オスが事故死した後、不思議な事が起きます。
メスが突然、産卵を始めたのです。しかも、オスの死を待っていたかのように。
貴重な卵を無精卵で終わらせないため、ソデグロヅルの人工授精に成功していた東京都の多摩
動物公園の協力のもと、冷蔵空輸精液を用いた人工授精に取り組むことになりました。
ツルの人工授精は、タンチョウやマナヅル・アネハヅルなど、
日本でも幾つかの種で成功していましたが、いずれも採取した
精液を、その日のうちにメスに注入していました。
当日であれば、尿などが混入しても精子の生存率は高いため、成功につながったのだと思い
ます。
ソデグロヅルの事例のように、採取した精液を冷蔵・空輸し、翌日メスに注入した例は、日本
ではありませんでした。
精液の希釈液は何がいいか?
冷蔵の温度は何度がいいか?
空輸(気圧の変化)が精子・精液に与える影響は?
などなど、多くの課題もありましたが、取り組みから5年後、冷蔵空輸精液によるソデグロ
ヅルの人工授精に日本で初めて成功し、性別鑑定の結果、生まれたツルはオスだと分かり
ました。
ソデグロヅル(袖黒鶴)は、羽を閉じた状態では全身真っ白ですが、名の由来となったのは、
江戸時代、その姿が着物の袖を黒くしたツルに見えたのでしょう。
決して大空を羽ばたくことのないこのツル
に、願いを込めて「翼」と名付けました。