人のこころ・動物のこころ

動物公園勤務時代、お孫さんと思われる女の子を連れた上品そうなご老人(男性)が、私の

目の前を通りかかりました。

ご老人は私の姿を見て、その子の将来を案じたのか、諭すように声をかけながら、足早に

通り過ぎて行きました。

 

「〇〇ちゃん、勉強しないと、あんな仕事をしないといけないんだよ」

その時、私はゾウの運動場で大きな排泄物を片付けていました。

私のしていたことは「あんな仕事」だったのでしょうか。

 

牧畜民族である欧米人は、多くの動物たちを大切なパートナーと考え、多くの語彙を生んで

きましたが、日本では、身近な動物たちの多くが農作物を荒らす害獣でしかなかったようです。

だから、それらを追い払い、食べてくれるキツネオオカミだけが

として崇められました。

ただ、そのオオカミでさえ、「赤頭巾ちゃん」という寓話の輸入後

悪者扱いされ、その後、伝染病の流行や狩猟の対象となったこと

も、絶滅に拍車をかけました。

 

また日本などでは、仏教の教えから「生前、悪行をすると死後、畜生に生まれ変って苦しみを

受ける」ことを戒めとして、畜生=畜生に携わる人=汚れた人という、欧米では考えられない

ような概念が生まれたのではないでしょうか。

結果、意図的と言われる非人階級※を生んだのかも知れません。

 

非人階級
 非人の身分になると、様々な制約が課せられました。

 特に江戸時代には、非人による犯罪が多発していたことから、一目瞭然で、非人と判別できる

 必要がありました。

 そのため男子は、ある年齢を過ぎると首から動物の皮をぶら下げ、特徴のある髪型をさせられ

 ました。

 顔を隠されると困るので、使える手ぬぐいの長ささえも決められていたようです。

 旅籠などには泊まれるはずもなく、非人を泊めたことが分かると、その部屋の畳・襖・天井に

 至るまで、全面改修を余儀なくされました。

 火をもらうことはもちろん、食べ物も容器に入ったものは、もらえませんでした。

 時代劇などに登場する「磔の刑」の執行、死んだ牛馬の解体なども、非人の仕事でした。

 興味があれば、白土三平のカムイ伝を是非、読んでほしいと思います。

   同じような概念はネパールにもあり、ヒンドゥー教徒の中の被差別民が、無理やり死んだ牛を

 「食べさせられている」というのも事実です。

 

動物のこころはどうなのでしょうか。

ブライド※と呼ばれる群れで暮らすライオンでは、年老いて狩りに参加できないメスも、仲間の

庇護のお蔭で生き延びることができます。

※動物の群れ
 オオカミ(パック)、ハイエナやリカオン(クラン)、シャチ(ポッド)など

 

 

 

ゾウの群れが干ばつを乗り切れるかどうかは、水源の在りかを覚え

ている、年長のメスがいるかどうかで決まります。

オス同士のケンカが絶えないチンパンジーさえ、年老いたオスは

群れの中で尊敬されます。

このことは、動物たちが効率的な狩りや食べ物・水の見つけ方、

体調が悪い時の対処の仕方など、

 

群れという社会性を維持するためには、年老いた個体の「知恵や経験」が欠かせないということ

を、学習してきたからに他なりません。

学習能力なら人間も負けていないはずです。

 

今こそ、動物たちの「こころ」を見つめ直し、人のこころにを、関心を取り戻しましょう。

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