今日8月15日は、77回目の終戦記念日です。
今回は「動物の話」ではありませんが、お付き合い下さい。
先の大戦では日本でも多くの尊い命が失われましたが、そもそも軍部は日本兵の命に
ついて、どこまで真剣に考えていたのでしょうか。
特攻に回天(人間魚雷)、伏龍(水中特攻)などなど。
私は役所の畜産係(農林部)で働いていた時、養豚農家のTさんから戦争の話を聞いた
ことがあります。
Tさんは戦闘機のパイロットとして戦っていた時、アメリカ軍機の攻撃によって片方の
目を負傷し、そのまま海に落ちて気を失ったそうです。
その後、意識が戻ると顔中に包帯が巻かれており、周りからは日本語が聞こえていた
ので、てっきり日本の病院にいると思って安心したそうです。
包帯が外され、残された片方の目で見た光景は、今でも忘れられないと言っていま
した。
なぜならそこは日本の病院ではなく、アメリカの病院(アトランタ)だったからです。
周りには負傷した日本兵がたくさんいて、アメリカ軍の捕虜になったことを知ると、
不自由な体でもベッド脇の壁に頭をぶつけて、自殺しようとする人もいたといいます。
もちろんTさんも、その一人です。
そんな時は(日本語の分かる)日系のスタッフが来て、「命を粗末にしてはダメ!」と
話しかけるのでした。
他にも、アメリカ軍のパイロットが海に落ちると何隻もの軍艦が周囲をガードして、
パイロットを助け出していたそうです。
Tさんは、当時の日本軍では考えられないと。
次は亡き私の父から聞いたもので、海軍が兵士の命を大切にしていた?話です。
先の大戦中、軍部に批判的な記事を書いた新聞記者がいたそうです。
当時の新聞は(軍部を支持し)、大本営発表の情報をそのまま載せていましたから、
異例です。
そのことを知った陸軍は激怒し、新聞記者を(合法的に)殺す方法を考えました。
まず陸軍に徴兵し、特に戦火の激しい南方の地に送り込めば、合法的に殺せると。
ところがその記者は、なぜか海軍に徴兵され(事前に情報を知った海軍が助けた?)
戦地に赴くことはなかったと。
事の詳細は分かりませんが、父も新聞記者をしていたので、業界では有名な話だった
のかも知れません。