動物園・水族館の本来の目的、それは動物たちを飼育することではなく、彼らの魅力・すばら
しさ、そして長きにわたり多種・多様な生き物たちを育んできた、地球のすばらしさを後世に
伝えることです。
生きた動物たちがいなくても、その魅力が伝えられるなら動物園や水族館は必要ありません。
動物飼育は、あくまでも、その手段に過ぎないのです。
動物たちの飼育には、その動物でなければならないメッセージがあります。
ジャイアントパンダ、オランウータン、チーター、ホッキョクグマ、アジアゾウなど、動物
たちからの様々なメッセージは、来園者の皆さんの心に届いているのでしょうか。
たとえばオランウータンの展示では、我々の豊かな食生活の陰で、彼らが追い詰められている
現状を伝え、我々に何ができるかを考える「きっかけ」にしなければなりません。
オランウータンの生息地ではジャングルが次々と切り開かれ、
アブラヤシの農園が広がっています。
アブラヤシから採れるパーム油の8割は食用として使われ、
即席めん・マヨネーズ・ケーキ・チョコ・スナック菓子など、
他にも洗剤・インク・化粧品・化学製品などにも使われています。
チーターなら、絶滅の淵から何とか生き延びて来たものの、種としての多様性を犠牲にする
しかなかった過酷な運命と、一度生息数が激減した動物の、種の保存の難しさを考える
「きっかけ」にしなければなりません。
チーターは一時的に生息数が激減し、残った個体による近親交配の結果、遺伝的多様性は失わ
れ、免疫力は低下しました。
今後の種の保存を考えると、動物園の役割(繁殖)は、ますます重要になっています。
ただ現状は、飼育下での繁殖が難しい動物の一つです。
アジアゾウなら、イヌと同じように、人間や機械ではできない高度な作業の価値を共有できる
大切なパートナーであったこと、信じた人間たちに裏切られた悲しい現実、人間と大型動物と
国内にゾウに関する法律まで整備しているタイでさえ、森林伐採が
禁止になる直前まで、ゾウたちは働かされました。
休む暇させない現場では、疲れたゾウに覚せい剤まで投与して、
働かせたと言います。
薬の副作用から手に負えなくなると、ゾウたちは次々に森の中に置き去りにされました。
欧米なら、動物園・水族館は動物たちのことを学ぶ「教育施設」として認知されていますが、
日本では未だに動物のいる公園又はレクリエーション施設としての意味合いが大きく、遊び
に行くという感覚はあっても、学びに行くという感覚はほとんどないように思えます。
身近な動物たちを「大切な存在」として受け入れてきた民族と、身近な動物たち※は
「農作物を荒らす害獣」と見てきた民族との違いなのでしょうか。
身近な動物:ネズミ、ウサギ、シカ、サル、クマ、イノシシ、タヌキ、アナグマなど
貴重な動物たちを目の当たりにしても、両者(見せる側と見る側)の間に溝があり、
まだまだ、その価値を共有しているとは言い難い現状だと思います。